
1966年11月3日版
滝山4丁目~6丁目と滝山3丁目、前沢5丁目の一部で区画整理事業として新しい道路建設が始まったばかりの頃である。左上に一部見える道路の内側には後日、滝山団地第1街区が建設される。下方、広い道路は新青梅街道。できたばかりで翌1967年に東村山まで開通となる。
前沢四丁目となる地域はほとんど畑と雑木林(当時「山」「森」とも呼ばれる)であることがわかる。小金井街道沿い中央やや左に入ったところにある建物は日本住宅公団久留米宅地開発事務所、その北方、小金井街道に面した建物は西山植物園、滝山中央通りとなる道路沿いにはEさん宅が伺えるが、高野駐車場となるあたりに見える建物らしきものは不明(地図にも記載がない)。新所沢街道はまだ手付かずだが、前沢南交差点となる個所(〇印)の左にある建物は大日本土木資材置き場。
前沢五丁目となる地域の小金井街道沿いに並んでいる住宅は「通信住宅」、中央、小金井街道を挟んで東側の住宅群は木造の「久留米前沢住宅(130戸、後の都営前沢2丁目アパート)」。北の方には所沢街道に沿って家が立ち並んでおり、この写真では入っていないが西の方には柳窪や下里の住宅が多く散在している。
前沢四丁目から滝山1~7丁目にかけてはほとんど建築物がなくほぼ平坦で畑と雑木林だけの広範な地域だったわけで、大規模な団地を建設するのに格好の場所だったことが分かる。
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