
1968年5月9日版
区画整理が進み、前沢四丁目となる地域(注1)はほぼ骨格が出来上がっている。新所沢街道が前沢南交差点部分まで出来上がっており、滝山中央通り(注2)も滝山東交差点まで拡幅された。小金井街道は滝山東交差点から所沢街道の少し北まで拡幅されている。滝山東交差点から南側(花小金井方面)が遊歩道(幅10m)より狭いように見える。
前沢四丁目となる地域に新たな住宅の建設は始まっていない。遊歩道脇現在のIさん宅あたりに建物のようなものがうかがえるが不明(工事用建物か)。雑木林は2地区、3地区の小金井街道沿いと現4地区23番地付近を残して整地されている。
西中、滝山公園は造成中。1966年版では西中の敷地となる場所にあったOさん宅が数十m北の滝山北通り北側に移転している。滝山団地(写真で見えるのは1街区)は建物がほぼ完成している。第2団地はまだ土地の造成中。新青梅街道に近い場所の大きな建物は開設されたばかりの弥生台幼稚園(小平市)。
四丁目と異なり、前沢五丁目は通信住宅地域と小河内自治会地域に既存の建物が密集していたのでその部分が区画整理から除かれていることがわかる。なお、通信住宅のうち小金井街道沿いの約40戸は小平市であり、「小平通信住宅自治会」を結成している。
(注1)この頃の地名は「北多摩郡久留米町大字前沢字大道西および滝山道」だった。新住居表示で「前沢四丁目」となったのは1969年11月1日。同様に、前沢五丁目は「大字前沢字粂川道南」、前沢一丁目は大部分「字布田道西」、前沢二、三丁目は「字大道西、字前原」。
(注2)「滝山中央通り」は、滝山北通り、滝山南通りなどと共に1980年に市が付けた愛称だが、当時は東京道(粂川道)と呼ばれていた。現在滝山中央通りの東端は滝山東交差点であり、そこから東は「柳新田通り」、ロピアのところで西東京市に入ってからは久米川街道と名が変って田無駅近く青梅街道まで続いている。