航空写真で見る前沢四丁目

1979年11月14日版

1970年代後半は滝山中央通り沿い、特に滝山団地入口バス停周辺が大きく変化した。滝山東交差点の角にロッテリアが開店、建てられた小寺ビルにはJAみらい滝山支店が入った。その西隣に大堀自動車解体場、高野駐車場が設置された。バス停の五丁目側には「しんめい」が入る第2松島ビル、さらに第3松島ビル、紀南久留米住宅などのビルが並んだ。3地区にはつばき公園南側に2棟の大道マンション、東側に2棟の静華荘アパート、小金井街道沿いには高橋ビルと集合住宅が次々に建てられ、4地区には翌80年に開園する大道幼稚園が建てられている。
 遊歩道やつばき公園の樹木、さらに滝山公園や西中周囲の樹木もはっきりと見えるまでに大きくなっている。2地区、3地区の雑木林もよくわかる。
 小金井街道沿いに「ロイヤルホスト」ができたのは1978年、滝山公園テニス場北隣に高齢者向け賃貸住宅「こもれび滝山公園」ができたのも同じく1978年である。

2025年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : せ

航空写真で見る前沢四丁目

1975年1月31日版

前沢四丁目の戸建て住宅は6年間で150戸を超えた。最も大きく変わったのは2地区。6番地に消防署前沢出張所、同職員待機寮に加えくぬぎ児童館が設置され、柴田ふとん店の作業所(展示場。赤い屋根の建物)や今も残っているアパート寿荘が建てられた。現マクドナルドがある場所は駐車場となり、隣接して篠宮荘が建っている。また、9番地にヤクルト本社社員寮(現遠藤コーポ)が建てられた。5地区現サンドラックの場所は駐車場となっている。写真を拡大するとつばき公園や遊歩道には若木と見える樹木があるのがうかがえる。

 西中には東館が増設されており、滝山グラウンドにはトラックが見える。滝山1丁目には山崎製パン滝山家族寮が見える(1974年頃設置。2025年取り壊し)。小金井街道は青梅街道まで拡幅されている

2025年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : せ

航空写真で見る前沢四丁目

1971年4月25日版 

前沢四丁目は1968年末から公団分譲地中心に住宅の建設が始まり(注)、わずか1年半で写真のように100戸前後の住宅が建っている。また、志久道マンション、マンション榎本(つばき公園南東)も建ち、小金井街道沿いに事業所も見受けられる。

(注)前沢四丁目は地域全体が区画整理されたが、住宅公団が買い上げた土地を分譲したのは通歩道沿いと1地区など遊歩道に隣接する一部区域だけであり、その他の区域は旧地主などの私有地だった。別の写真では、1968年区画整理後最も早く建てられた住宅として1地区Wさん、Tさん、5地区Tさん、Nさんの4戸が写っている。

 つばき公園は前沢五丁目のさつき公園、滝山一丁目のあやめ公園などと共に1969年に開設されている。つばき公園の真ん中に4本の立木のようなものが見える。当時を知る人の話では大きな松の林があったという。その他につばき公園にも遊歩道にも大きな樹木は見当たらない。雑木林は1968年頃からのものがそのまま残っている。

 西中(体育館、プール含む)、滝山公園は完成し、すでに使用している。周囲に植えたと思われる樹木はまだ小さく写真では判別できない。滝山団地第2住宅は完成し、前年11月から入居が始まっている。小金井街道滝山東交差点から南の道路拡幅は土地買収が始まった頃と思われる。

2025年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : せ

航空写真で見る前沢四丁目

1968年5月9日版

区画整理が進み、前沢四丁目となる地域(注1)はほぼ骨格が出来上がっている。新所沢街道が前沢南交差点部分まで出来上がっており、滝山中央通り(注2)も滝山東交差点まで拡幅された。小金井街道は滝山東交差点から所沢街道の少し北まで拡幅されている。滝山東交差点から南側(花小金井方面)が遊歩道(幅10m)より狭いように見える。
 前沢四丁目となる地域に新たな住宅の建設は始まっていない。遊歩道脇現在のIさん宅あたりに建物のようなものがうかがえるが不明(工事用建物か)。雑木林は2地区、3地区の小金井街道沿いと現4地区23番地付近を残して整地されている。
 西中、滝山公園は造成中。1966年版では西中の敷地となる場所にあったOさん宅が数十m北の滝山北通り北側に移転している。滝山団地(写真で見えるのは1街区)は建物がほぼ完成している。第2団地はまだ土地の造成中。新青梅街道に近い場所の大きな建物は開設されたばかりの弥生台幼稚園(小平市)

 四丁目と異なり、前沢五丁目は通信住宅地域と小河内自治会地域に既存の建物が密集していたのでその部分が区画整理から除かれていることがわかる。なお、通信住宅のうち小金井街道沿いの約40戸は小平市であり、「小平通信住宅自治会」を結成している。
(注1)この頃の地名は「北多摩郡久留米町大字前沢字大道(おおみち)西(にし)および(たき)山道(やまみち)」だった。新住居表示で「前沢四丁目」となったのは1969年11月1日。同様に、前沢五丁目は「大字前沢字粂川(くめがわ)(みち)(みなみ)」、前沢一丁目は大部分「字布田(ふだ)(みち)西(にし)」、前沢二、三丁目は「字大道西、字前原(まえはら)」。
(注2)「滝山中央通り」は、滝山北通り、滝山南通りなどと共に1980年に市が付けた愛称だが、当時は東京道(粂川道)と呼ばれていた。現在滝山中央通りの東端は滝山東交差点であり、そこから東は「柳新田通り」、ロピアのところで西東京市に入ってからは久米川街道と名が変って田無駅近く青梅街道まで続いている。

2025年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : せ

航空写真で見る前沢四丁目

1966年11月3日版

滝山4丁目~6丁目と滝山3丁目、前沢5丁目の一部で区画整理事業として新しい道路建設が始まったばかりの頃である。左上に一部見える道路の内側には後日、滝山団地第1街区が建設される。下方、広い道路は新青梅街道。できたばかりで翌1967年に東村山まで開通となる。
 前沢四丁目となる地域はほとんど畑と雑木林(当時「山」「森」とも呼ばれる)であることがわかる。小金井街道沿い中央やや左に入ったところにある建物は日本住宅公団久留米宅地開発事務所、その北方、小金井街道に面した建物は西山植物園、滝山中央通りとなる道路沿いにはEさん宅が伺えるが、高野駐車場となるあたりに見える建物らしきものは不明(地図にも記載がない)。新所沢街道はまだ手付かずだが、前沢南交差点となる個所(〇印)の左にある建物は大日本土木資材置き場。
 前沢五丁目となる地域の小金井街道沿いに並んでいる住宅は「通信住宅」、中央、小金井街道を挟んで東側の住宅群は木造の「久留米前沢住宅(130戸、後の都営前沢2丁目アパート)」。北の方には所沢街道に沿って家が立ち並んでおり、この写真では入っていないが西の方には柳窪や下里の住宅が多く散在している。

 前沢四丁目から滝山1~7丁目にかけてはほとんど建築物がなくほぼ平坦で畑と雑木林だけの広範な地域だったわけで、大規模な団地を建設するのに格好の場所だったことが分かる。
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2025年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : せ

航空写真で見る前沢四丁目

1975年1月31日版

前沢四丁目の戸建て住宅は6年間で150戸を超えた。最も大きく変わったのは2地区。6番地に消防署前沢出張所、同職員待機寮に加えくぬぎ児童館が設置され、柴田ふとん店の作業所(展示場。赤い屋根の建物)や今も残っているアパート寿荘が建てられた。現マクドナルドがある場所は駐車場となり、隣接して篠宮荘が建っている。また、9番地にヤクルト本社社員寮(現遠藤コーポ)が建てられた。5地区現サンドラックの場所は駐車場となっている。写真を拡大するとつばき公園や遊歩道には若木と見える樹木があるのがうかがえる。
 西中には東館が増設されており、滝山グラウンドにはトラックが見える。滝山1丁目には山崎製パン滝山家族寮が見える(1974年頃設置。2025年取り壊し)。小金井街道は青梅街道まで拡幅されている。

2025年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : せ